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経度0度線はどのように決められたのか その2

1875年、経度0度線(本初子午線)はカナリア諸島のフェルロを通る子午線とすることがいったん決まりましたが、これは一見、特定の国の首都などを経度0度とするのではない公平な決め方のように思えますが、実は、カナリア諸島のフェルロは、フランスの首都パリと経度差が15度ですので、実質この決定は、パリを経度0度線と決めたのと同じことでした。

よって、この本初子午線の決定は、フランス以外の国には非常に不評でした。

 

そこでアメリカの提案で1884年に国際子午線会議が開催されました。

この会議には明治時代の日本も参加していました。

フランスは中立国を本初子午線とするよう主張しましたが、フランスの提案した場所は重要な天文台が設置されておらず、この提案は受け入れられませんでした。

 

参加国の投票により、イギリスのロンドン郊外にあるグリニッジ天文台を通る子午線を経度0度とすることが決められました。

この子午線はグリニッジ子午線と呼ばれます。日本では1871年に基準となる子午線(経度0度線)を東京の皇居を通る線としていましたが、1886年にグリニッジ子午線を採用することに決めました。

 

グリニッジ子午線に最後まで反対していたフランスは1911年になって、ようやくグリニッジ子午線を採用することになりました。

 

しかしそもそもなぜ、フランス以外の世界各国はグリニッジ子午線を支持することになったのでしょうか。

 

つづきはその3にて

 

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